現状への不満やフラストレーションをフェムテックと都市開発に対するエネルギーと情熱の源へ
ワン・ヤング・ワールドのアンバサダーを3回務めた高堰うららさん。社会の中でも特にリーダーシップが必要な分野において現状を変えようと邁進しています
高堰うららさんは、幼いころ父親の転勤で小学校の大半をアメリカで過ごしました。日本では内向的で友達も少なかったそうですが、アメリカでの学校生活では自分を自由に表現でき、また自分の興味のあることに集中できるようになったそうです。アメリカでの生活は彼女を非常に活発なパーソナリティに変え、かえって時には先生たちから乱暴な生徒だと思われることもあったのだそう。アメリカでの7年間はスポーツに打ち込み、PTAの会合にも参加するなどエネルギッシュに過ごしました。
しかし、中学生の頃日本への帰国が決まり、彼女の世界は大きく変わることとなります。英語は堪能ですが日本語も日本文化にもなじみがないまま、ふたたび生まれ育った日本で暮らすことは彼女にとっても大変な困難でした。また日本での高校生活で女子が活躍できるスポーツは限られていましたし、国語や他の教科の成績を上げなければ大学進学も難しいとさえ言われていました。
見えない壁と闘う日々が続きましたが、ある時、エージェントの有名タレント社長にスカウトされうららさんはモデル業に挑戦することとなります。しかしここでも、肌が黒すぎる、太りすぎている、グラマーすぎる、頭が良すぎる等々のバッシングを受け、本来解放的であるはずの世界もその閉塞感で彼女を苦しめることになっていきます。しかし高堰さんは、彼女自身のやり方で現状を打破することを決めました。それがワン・ヤング・ワールドです。
当時通っていた学校の先生からワン・ヤング・ワールドのことを教えてもらったうららさん。もともと持続可能な社会づくりに興味関心があったためサミットへの参加を熱望しましたが、実はここでもサミットの年齢制限という壁に当たりました。当時は18歳から30歳までが参加資格とされており、まだ参加可能年齢に達していなかったのです。しかしうららさんは諦めませんでした。持ち前の行動力ですぐにワン・ヤング・ワールドの日本代表に連絡をとり、「若者のエンパワーメントを推進するためには、もっと若い参加者を歓迎すべきだ」と彼女の熱意を伝えたのです。その情熱と大胆さは高く評価され、2014年のダブリンサミットに見事16歳の最年少アンバサダーとして選出されたのでした。
ダブリンサミットにおいても、登壇者に話しかけたり質問するなどためらわずに自分の考えを口にし、比類ない積極性を見せた高堰さん。他のアンバサダーとも交流を深め、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス教授など著名な指導者が開催するワークショップにも参加しました。
「OYWは、規範を変えるためには、情熱と決意が重要であることを証明してくれました。OYWのコミュニティは、年齢や役職ではなく、この2つが人を真に惹きつけ、力を与えるものであることを教えてくれました。」
この時のワン・ヤング・ワールドでの体験は、その後高堰さんが学業に邁進するきっかけとなりました。慶応義塾大学に入学し、政治学を専攻。「責任ある社会を作る」という同じ情熱を持つ仲間とも出会うようになりました。大学ではNPOを設立し、様々なリーダーシップ活動に取り組んだ後、2017年と2018年には再びOYWにアンバサダーとして参加しています。
海外の大学への進学も勧められましたが、うららさんは英語力とグローバルな経験を活かして日本国内で活動することを決意し、東京大学大学院工学系研究科に進学。都市計画に関する研究を行います。その一方国際会議にも積極的に参加し、世界中の研究者やリーダーたちと協力しながら、グローバル社会との強い絆を構築中です。
東京大学で研究を続け、NPOの活動目標に取り組むうちに、うららさんは体調の変化を実感するようになりました。これまでほとんど気にならなかった毎月の生理が非常に辛く感じられるようになり、日常生活に支障をきたすようになってきたのです。生理痛とホルモンバランスの乱れから体調を崩すこともしばしばで、常に生理用ナプキンが足りているか、服が血で汚れていないか…といった不安を抱え、周りの女性達にこれについてよく相談するようになりました。
この経験は大きく、うららさんは今まで女性たちがいかに様々な苦労をしてきたか、自分がいかに盲目であったかを思い知らされたのだそうです。女性でありながら、自分自身も多くの女性が経験する身体的・精神的負担を、本当の意味で認識できていなかったのだと語ってくれました。その後悔と悔しさから、彼女は月経に関する研究や取り組みに目を向け始めました。
同じ頃、COVID-19の流行でいわゆる「生理の貧困」が社会問題として話題になり、生理に関する問題が注目されるようになりました。これによって状況は一歩前進したものの、ごく一部の女性の経済的な苦労を解決する程度に過ぎませんでした。「生理の貧困」は極めて重要な問題ではあるものの、本質的な解決にはほど遠く、当事者にとってはいまだ解決しているわけではありません。うららさんはこの問題を解決するため、まずは何百人もの女性にインタビューしてより詳細な現状把握をはかりました。
こうしてなんとか「生理の貧困」を解決したいと手探りながら行動を続けるうちに、彼女は都市計画やスマートモビリティの分野から「モバイルプラットフォームでアクセス可能な生理用ナプキンの提供インフラを構築する」という着想を得ました。当時親しい友人や現在の共同設立者にアイディアを話しましたが、男女問わずこのテーマについてあまりに無関心であったことにも驚かされたそうです。こうして、どこでもトイレの個室で生理用品を取り出せるようにすることを目的とした「unfre.」が誕生しました。
現在は、主に不動産や運輸関係の企業と連携しながら「unfre.」を実現するために活動しているうららさん。また月経にまつわるさまざまなトピックを語り合う場も開催しています。うららさんが取引先や周囲からよく受ける質問のひとつに、「生理用品は決して高いものではないのになぜトイレの個室に用意する必要があるのか? 」というものがあるそうです。それに対し彼女はこう答えます。「トイレットペーパーだって、みんな買えますよ」「では、なぜ公共の場のトイレの個室でわざわざトイレットペーパーを提供するのでしょう?」と。
うららさんは、社会における月経の見方や扱いを見直したいと考えています。生理用品は、生理中の人々の移動と幸福のために必要なものであり、個人が選んで使うような嗜好品ではありませんし、そうあるべきでもありません。生理用品を提供することが「受益者でない男性に対する不公平な扱い」であるという考え方は、月経と社会におけるその位置づけについて著しく誤った認識です。今後は、日本国内の主要プレイヤーを巻き込み、グローバルに活動を展開することを目指しています。