3月8日は国際女性デー。世界中で、女性の社会的・経済的・文化的・政治的な功績を称え、より平等な未来を目指す日です。日本においても、女性の活躍がますます注目されるようになりました。しかし、「活躍」とは単に役職に就くことや出世することだけを意味するのでしょうか?今回は、長年にわたり企業のマーケティングや人材育成に携わり、日本のファッションビジネス教育を牽引してきた尾原蓉子さんにお話を伺いました。
女性が自らの可能性を発揮し、自由に選択し、自己実現を果たすことこそが、本当の意味での「活躍」ではないでしょうか。新たな挑戦をする女性たちが増える一方で、依然として企業文化や制度の壁に直面する現実もあります。
尾原さんとともに、日本における「女性の活躍」の意味を考えます。
女性がより自由に、主体的に社会で力を発揮できる未来に向けて、私たちに何ができるのか。一緒に考えてみませんか?
女性が活躍する、というのは単に「役員になる」「出世をする」というだけの意味ではありません。起業や、小さくても自分で何かビジネスを始めるという行動も、十分に活躍と呼べるものです。このように広い視点で考えると、現代の日本社会においては、女性は既に多くの分野で積極的に自らの可能性を発揮しているのではないか、と感じるようになりました。
具体的には、伝統的な組織の中だけでなく、新たなビジネスやNPOを立ち上げたり、個人で独自の活動を行ったりすることで、社会における存在感を確実に高めていると言えます。つまり、単なる出世や役員就任にとどまらず、様々な形での自己実現や挑戦が、女性の活躍として評価されるべきであるという考え方です。
一方で、私たちの社会では、依然として企業を中心とした環境に男性中心の文化が染みついていると感じることもあります。たとえば『こんなことをやってみたい』という意欲があっても、そのアイデアや挑戦が実際に実現するまでには大きな壁が存在します。
制度としてはその機会が用意されている場合でも、実際の運用となると、現実とのギャップや時間的な距離が生じ、結果として女性が自分の可能性を十分に発揮できない状況が続いています。つまり、表面的には平等な制度が整備されていても、企業文化そのものが根強く男性優位に傾いているため、女性が真に活躍するための環境整備がまだまだ不十分だという事です。
国外に比べると、日本では女性が責任あるポジションに就くケースは確かに増加しているものの、その進展は遅いと感じられます。私自身、1980年代中頃に『あと何年くらいたったら、日本の女性が男性同様に活躍できるようになるか?』という問いに対し「21世紀になったら」と答えた経験があります。しかし、実際に見ると、その約束が現実となるまでには相当な時間がかかっており、感覚としてはようやく世界標準に近づきつつあるという印象です。つまり、進歩はしているものの、国外の状況と比べると依然として改善の余地が大きく、さらなる努力が求められているのが現状です。
産休を取得した場合、上司が「よかれ」と考えて楽なポジションへ移動させるという現象が、現実として未だに存在しています。このような慣習は、女性がリーダーとしての真の資質を磨く機会を奪う結果となりかねません。したがって、女性に対してはリーダーになるための訓練やチャンスを、できるだけ早期、すなわち産休に入る前の20代後半から30代手前というタイミングで与えることが極めて重要です。
男性よりも早い段階でこうした訓練を実施することで、多くの女性が管理職に就く面白さややりがいに気づくと考えられます。マネジメントポジションに就くことを単なるルーティンワークとしてではなく、楽しみながら主体的に取り組める役割だとの環境づくりが必要です。さらに、産休前にかかる「昔のポジションを取り戻す」という旧来の考え方ではなく、自然に、そして即座にそのポジションに戻れる仕組みを整えることが理想的だと感じています。
現在の日本では、依然として終身雇用型の企業が多く、ジョブ型への移行が十分に進んでいないのが現状です。具体的には、仕事の内容が明確に定義され、その仕事が完了したら退社してもよい、あるいはクリアすれば次のステップに進むという仕組みが強く求められます。また、「子持ち様」といった表現が使われるなど、家庭と仕事を両立させることに対する理解が十分ではありません。
たとえば、急に子供が病気になった場合、仕事を休むのはほとんどが女性、といった古い役割分担が空気として存在するのです。こうした状況を打破するためには、企業のトップ自らが率先してものの考え方、文化や制度の変革に取り組む必要があります。実際、女性役員が多い企業ではイノベーションや多様性が促進され、業績がよいという実証もあり、頭で理解するだけではなく、実際の行動として変革を実行していくことが不可欠だと考えています。
女性役員の話題になる際には、その『数』についてしばしば議論がなされますが、ここには2つの視点が存在します。第一に、数字としての割合は確かに大切ですが、数字そのものに固執する必要はないと考えます。たとえば全体の3割程度でも十分に存在感が示されるという点です。つまり、少数であっても一つの塊としてしっかりと存在感を発揮できれば、十分な波及効果があると考えられます。
第二に、従来の評価尺度、すなわち年次や経験や能力の段階評価といった、一律の基準で全員を評価する方法には問題があり、実際にはラインの経験がなくても、アイデアや行動力という点で優れている人も存在します。単に定型的な研修を受けさせるだけではなく、社員自らが「やりたい」「こうなりたい」と意識して学び、成長するプロセスが必要です。そのためには、研修だけに依存するのではなく、社員が自由にアクセスできる「学びと成長」の仕組みを構築し、各個人の多様な才能を引き出しながら評価するシステムを整備することが不可欠だと考えています。
かつて私は、産休から復帰以降、嘱託として働いており、優秀な女性スタッフを採用していました。あるとき、上司から「皆さんを社員にしてあげたい」と言われたことがありました。しかし、男性と同じ年次のところまで一挙にあげてもらえるのかと問うと「それはちょっと」と。私のチームメンバーはその話をきいて「二流市民になるくらいなら、外人部隊でいい」といったのです。私たちは外国人ではありませんでしたが、当時の日本企業のなかでは、女性がバリバリ働くのは外国人のように珍しい存在でした。
こうして私たちは正社員の道を辞退しました。これを先頭に立って言い切った女性は先日亡くなりましたが、現代の女性にも、このような姿勢を持ってほしいと思います。人と違う道を選ぶと、比較されることが少なくなります。
世の中の流れに乗るのか、それとも自分自身の道を突き進むのか、また日本だけでなく世界の中でどう評価されたいのか、正解は一つではありません。結局のところ、自分の持つ能力と意欲をいかに最大限に活かしていくかが最も重要な課題なのです。日本人、中でも女性はその潜在力の高さを持ちながらも、それを実際の力に出来ていないのです。それには、自分が生きたい生涯とはどんなものなのか?をしっかり考えることが大切です。自分の生涯の目的(パーパス)を明確にし、勇気と使命感(自分が社会に対して貢献できることへの)をもって、進んでいただきたいと考えています。
ベルギーと日本で2拠点生活を実践するエディター。早稲田大学政治経済学部卒業後、Forbes JAPAN編集部でエディター・アシスタントを経て、日本経済新聞社に入社。記者として就活やベンチャーを取材する。その後、日本経済新聞出版社(現・日経BP)に書籍編集者として出向、60冊以上のビジネス書を作る。担当した『日経文庫 SDGs入門』『お父さんが教える13歳からの金融入門』は10万部を超える。
就業中に名古屋商科大学院で経営学修士(MBA)を取得。2022年8月に退職・独立し、ベルギーに。2024年、ルーヴァン経営学院の上級修士課程を卒業。ヤングダボス会議とも呼ばれるOne Young World 2022の日本代表。2025年はメディアアドバイザー。メディアへの執筆のほか、編集業務や海外企業の日本進出支援も行っている。
東京大学卒業後、1962年旭化成入社。67年、フルブライト奨学生として米国ニューヨーク州立ファッション工科大(F.I.T.)留学。帰国後、商品開発、ファッション流行予測、繊維マーケティング等を担当。ファッション企画室長、マーケティング総部次長、FB人材開発部長等を経て、IFI(財団法人ファッション産業人材育成機構)ビジネススクール設立に注力。1999年学長に就任。世界でもユニークな繊維・ファッション・流通のための『実学』教育を11年間かけて軌道に乗せ、2009年退任。同年、F.I.T.から「生涯功労大賞」、毎日新聞社から「毎日ファッション大賞・鯨岡阿美子賞」を受賞。2003年にはハーバード・ビジネススクール・ビジネスマン/ウーマン・オブザイヤーを受賞。
ユニークなキャリアの中でも、ニューヨークFITでファッション・マーチャンダイジングを、ハーバード・ビジネススクール AMPコースで経営を学び、また高校2年生(16歳)でAFS高校交換学生プログラムによりミネソタ州に留学した1年間の異文化体験が、ライフワークの「プロフェッショナルなキャリアづくり」と「グローバルな人材づくり」のベースとなっている。 留学で得た貴重なエンパワメント体験は日経ビジネスなどに取り上げられている。